20代女性のためのファッション通販サイト情報

今は服を通販で買うことも全然珍しいことではありません。
通販でしか買えないショップというのもあり、実店舗でのお買い物とはまた違った魅力があります。
しかしまだあまりレディースファッション通販サイトをよく知らない人もいると思いますので、20代女性向けのファッション通販サイトについて書きます。

20代といってもまだ学生が多い20代前半と、子供がいてもおかしくないアラサーの20代後半では予算やファッションの好みも違ってくると思いますので、その違いも意識して書きます。

20代前半の学生であればGRLが気に入ると思います。
GRLのファッションの傾向としてはとにかく「今流行のファッション」です。
流行の服がとても安く買えるのがGRLの魅力です。
もちろん全身GRLのアイテムだけでそろえることもできますし、バッグや靴なんかも安くて可愛いのがそろっています。
そして通販ならではの魅力が豊富なコーディネート例写真です。
GRLではルックブックという特集ページにGRLのアイテムを使ったコーデ例の写真がたくさん載っています。
コーデ例の写真から商品を選ぶのも面白いですね。
GRLのモデルさんは宮田聡子ちゃん、ちぃぽぽちゃん、坂本礼美ちゃん、藤井リナちゃん、藤田杏奈ちゃん、横田ひかるちゃんといった人たちです。
ときどき土曜日に送料無料キャンペーンをやる場合があります。

20代後半のアラサー女性におすすめしたいのがsoulberryです。
ファッションの傾向としては「大人可愛い服」がたくさんあります。
そのまんまですが大人女性でも着られる可愛い服のことです。
ナチュラルなリラックススタイルの中に可愛い要素がさりげなく入っている感じです。
soulberryは通販オンリーのショップだったと思いますが、ファッション系のネット通販サイトの中ではかなり人気のショップです。
かなりハマってしまう人が多いみたいです。
大きめサイズも扱っているのでぽっちゃりさんにもぜひチェックして欲しいショップです。
そしてママさんにもおすすめです。

20代女性向けのショップをもっと知りたい人、早速GRLとsoulberryの通販サイトをチェックしたい人は下記の参考サイトを見てください!
レディースファッション 20代 通販

日本製カラコン「トラスティ トラスティ」

カラコンは日本のメーカーが販売しているものも含めてそのほとんどが海外製です。
台湾製や韓国製などですね。
しかし日本製のカラコンというものも存在します。

まずその最初がフォーリンアイズです。
フォーリンアイズは日本で一番最初に国産カラコンを発売したメーカーです。
それまでにも安全性には力を入れていたみたいですが2014年に「フォーリンアイズプレミアム」という名前で日本製カラコンが発売されました。

ただ、やっぱり日本製ということで値段がちょっと高いんですよね。
そこでフォーリンアイズの姉妹ブランドとして誕生したのが「トラスティトラスティ」というカラコンです。
「トラスティトラスティ」はフォーリンアイズと同じ会社が発売したカラコンなのですがフォーリンアイズよりも安い価格に設定されています。
「日本製のカラコンが欲しいけどちょっと値段が高いんだよなぁ」という人は「トラスティトラスティ」の購入を検討してみるのもいいのではないでしょうか。

ただ、「トラスティトラスティ」は種類がまだ3種類しかないのが弱点ですね・・・
もっと増えてくれるといいのですが。

そしてワンデータイプの日本製カラコンというのも現時点ではまだどこのメーカーも販売していません。
ワンデータイプの日本製カラコンが出たら結構人気になりそうだと思うのですが残念ながらまだありません。

海外製カラコンでも日本の厚生労働省から高度管理医療機器として承認されていればあまり気にする必要はないのですが、日本製の信頼感はまだまだ高いですね。
 
<関連サイト>

オイリー肌におすすめの化粧下地について

オイリー肌は脂性肌とも呼ばれその名の通り油っぽい肌のことです。
ただし皮脂の分泌が多くてもお肌の水分が少ない場合には混合肌と呼ばれます。

オイリー肌の人の悩みと言えばやはりテカリですね。

洗顔直後は問題なく見えてもしばらくすると顔がテカってしまう・・・

しかしだからといって頻繁に洗顔しすぎるのもお肌にはよくないのです。

また、ゴシゴシと強く洗顔するのもよくないです。

女性の場合には化粧下地でカバーしてみるのもひとつの手です。

おすすめなのはミムラス ムーススキンカバーとセルフューチャー シルキーカバーオイルブロックという商品です。

二つとも特徴は似ています。

お肌の凸凹のクレーターをカバーして毛穴を目立たなくしたり、テカリを抑えたりしてくれます。

小ジワもカバーしてくれるみたいですが、まあこれはついでですね・・・

やはり期待したいのはテカリ防止と毛穴レスですね。

両商品ともネット上での評判は悪くないと思います。

あまりたっぷりと塗らずにごく少量をうすーく伸ばしてお肌に塗るのが使い方のコツです。

夏が来る前に今のうちにいろいろと試しておくといいと思います。

最初に書いた通り洗顔のし過ぎは禁物です。

あとは食生活や睡眠時間などの見直しも地味に大切です。

参考サイト:オイリー肌におすすめの化粧下地

宮本百合子の作品2

ああ、海! 海
広い懐の大海
お前の際限ない胸を張れ!
濤をあげよ。
そして、息をのむ大洪水の瞬下に
此あわれに 早老な女の心を溺れ死なせ。
波頭に 白く まろく、また果かなく
少女時代の夢のように泡立つ泡沫は
新たに甦る私の前歯とはならないか。
打ちよせ 打ち返し轟く永遠の動きは
鈍痲し易い人間の、脳細胞を作りなおすまいか。
幸運のアフロディテ
水沫から生れたアフロディテ!
自ら生得の痴愚にあき
人生の疲れを予感した末世の女人には
お身の歓びは 分ち与えられないのだろうか
真珠母の船にのり
アポロンの前駆で
生を
双手に迎えた
幸運のアフロディテ

     *

ああ、劇しい嵐。よい暴風。雨
春と冬との変りめ
生暖い二月の天地を濡し吹きまくる颱風。

戸外に雨は車軸をながし
海から荒れ狂う風は鳴れど
私の小さい六畳の中は
そよりともせず。
温室の窓のように
若々しく汗をかいた硝子戸の此方には
ほのかに満開の薫香をちらすナーシサス
耳ざわりな人声は途絶え
きおい高まったわが心と
たくましい大自然の息ぶきばかりが
丸き我肉体の内外を包むのだ。

ああ よき暴風雨
穢れなき動乱。
雨よ
豊かに降り濺いで
長い日でりに乾いた土壤を潤せ。
嵐よ
仮借なく吹き捲って
徒らな瑣事と饒舌に曇った私の頭脳を冷せ。

春三月 発芽を待つ草木と
二十五歳、運命の隠密な歩調を知ろうとする私とは
双手を開き
空を仰いで
意味ある天の養液を
四肢 心身に 普く浴びようとするのだ。
                    二月十六日
           (大暴風雨の日)

 この間の邦語訳の椿姫の歌うなかに、この受取り(でしたか、書きつけでしたか)を御覧下さいということばがあったが、それが日本語で歌われるといかにも現実感がありましたが、昨今ではそのうたをうたうプリマドンナの腕も、ステイジ用のトランク運びで逞しくなるとは面白い世の中ですね。
 ガソリン払底は、なるほど、郊外の奥にお住居だし、お仕事の関係上、直接でしょう。でもあなたのハンド・バッグのなかは豊富で、汽車がひっくりかえったときの内田さんのように、いくらでもとおっしゃるとすれば、マア豪勢みたいなものではないの。
 私の方の状態は、先ず大笑一番しなければ、ものも云えないような有様でね。おかしいでしょう。八面六臂的欠乏で困ります。原稿紙というものが、この節ではなかなか只ごとならないものになって参りました。何しろちり紙から心配という次第ですから。こんなさっぱりと四角い紙に気持よく朱の線の通っている原稿紙がやがて、昔話になるかもしれませんね。
 炭には困るわ。あなたのお仕事は羨しいと存じます。だって一心に練習なさっているとき、舞台にいらっしゃるとき、云ってみれば寒さ知らずでいらっしゃるでしょう。私たちのように凝っと机にかじりついているものは、冬は炭のいるのを気兼ねしいしいというのでやり切れないところがあります。第一に手がかじかんで、私のこの一ヵ月継続中の風邪のもとは、つい炭が途切れかかったときの記念です。
 それにつれて、昔芥川龍之介の書いていた支那游記のなかのことを思い出します。或る支那の文人に会いに行ったら、紫檀の高い椅子卓子、聯が懸けられたまるで火の気のない室へ通された。芥川さんは胴震いをやっと奥歯でくいしめていると、そこへ出て来た主人である文人が握手した手はしんから暖く、芥川さんは部屋の寒さとくらべて大変意外だったそうです。
 どうしてそんな手をしてこの火の気のない室に莞爾としていられるのかと、猶も胴ぶるいをこらえつつ観察したら、その文人の長上着の裏にはすっかり毛皮がつけられていたそうです。私たちも、そんなあんばいにやりとうございますね。
 全くあなたがお丈夫でもトラックなしではすまないように、私が意気壮でも、手はかじかみましてね。歴史をひもとくと、燃き物と紙の有無とは、常にその社会生活の一般状態を雄弁に物語っているようです。作家の思いは、原稿紙がなくなればどんな紙切れへでも、その紙切れへものをかくような時代の作品を書こうと思っているのでしょう。歌をうたうかたは、唱って寒さもふきとばそうと思っていらっしゃるでしょう。そこがそれぞれ面白いところですね。けれども、どうぞ喉はくれぐれお大切に御活動下さい。

 私も頂きました資料をよんで感じたことですけれども、やっぱり主人公である浦和充子が、子供を一人でなく三人までも殺したという気持が、このプリントに書かれてある範囲ではわからないのです。あれを読みますと、お魚に毒を入れて煮て、それを子供にわけて食べさせて、それをたべて自分も死のうと思ったということです。
 そうすると小さい子と自分とが半分ずつわけて食べようと思っていたお魚の一切を、子供の一人が食べたがったものだからその子にやったというんですね。自分の分まで皆食べさしちゃった。何か人間の気持、親の気持からいって、自分が一緒に死のうと思っている子供に、毒を入れて煮た魚を、お母さん欲しい、お母さん欲しいといったから、さあおあがりといって自分の分まで余計にその子供に食べさせるということは、私どもにはわからない気持です。まあ普通の親でしたら自分は身体が大きいんだし、親だし、だから子供の始末をしてやろうとしたにせよ、半分にしろ欲しがったから食べさしちまうということは、非常に疑問です。つまりこの事件のファクター、素因のプロパーとして特殊の事情として、普通ではわからない心理が充子という人の気持にあります。
 それから観察しているでしょう。こうやって見ていたら、顔を見ていたらだんだん黒くなってきた。そうして足を出したと、それだから苦しますと可愛想だから締め殺したと。
 だけれども、毒をくわした子供の顔を見ているうちに涙にかきくもるといえば通俗小説ですけれども、それは泣けてくるんです。それを冷静に見ている、作家か何かが冷酷な気持でリアリスティックな気持で見ていれば、その段階がわかるでしょうけれど。――もがき始めたので、はっとなって、とりのぼせたというのならわかるけれども、だんだん黒くなったと見ているのはどうもあまり沈着なんです。そういう心理もわかりません。
 それから私いま松岡さんのおっしゃったことで、女の人の具体的な感じかたを非常に面白く思ったんですけれども、私にもあのプリントで被告の身許引受人というのがわからないのです。あれにはただ身許引受人があったから執行猶予にしたとあります。身許引受人というものと、その充子さんという人との関係がわかっていないし、夫とその人との関係がわかっていません。ああいう生活過程をもっている女の人の場合には、ひとくちに身許引受人といってもいろいろのことが考えられるわけです。そういう点もプリントではわからない。

宮本百合子の作品

 彼女は、それとなく皆の方へ振返った。すると、健介が、まるでおせいの望を心の中から読みとりでもしたように、兵児帯の間から時計を出し始めた。
 坐りながら、彼女はごく自然に、
「もう何時頃になりまして?」
と訊くことが出来た。
「余り長くお邪魔しても……」
「何、まだ宵のくちですよ。九時になりますまい? 十二時までは電車があるから、まあゆっくりしていらっしゃい」
 小関は、健介の手許を覗き込むようにしながら云う。
「――もうかれこれ九時過ですね」
 健介は、胸を反すようにしてゆっくり時計を元の処にしまってから、おせいを顧みた。
「そろそろお暇(いとま)にしようか?」
 彼女が何とも云わない先に、主人夫婦は声を励して止めにかかった。
「いいじゃあありませんか、健さんも、どんなに途が遠いったって二時間はかかりますまい?」
 しかし、健介も内心では、もうさほどの興味も持っていないらしく見えた。明朝、出勤時間が早いことを理由にして、座を立ちかけていると、突然、ひどい音をたてて誰かが階段を上って来た。
「誰?」
「僕!」
 入って来たのは、息子の武雄であった。先刻(さっき)、何か学用品を買いに出て、戻って来たのだろう、突っ立ったまま、
「今夜は午市(うまいち)なんだねえ、随分外は賑やかだよ」
と息を弾ませて報告した。
「おや、そうかえ。ちっとも知らなかった……」
 挨拶の中途の、膝をついて息子を見上げていたおふゆは、それで俄に思いついたというように、おせいの方を向いた。
「丁度いい塩梅だ。行って御覧なさいませんか?」
「ああ、そりゃあいい。午市というのはね」
 小関も辞儀をやめにして健介に説明した。
「なか[#「なか」に傍点]に立つ夜市でしてね。植木や何かが主なんだがなかなか盛んなものです――それに何でしょう?」
 彼は、健介夫婦を見くらべながら、にやにやした。
「お二人ともあんな処へは足ぶみもなさらないんだから、ついでにずうっと一廻りして来るとようござんす」
「……さあ」
 健介は、おせいと顔を見合わせるようにして笑った。
「どうしますかね?」
 おせいも、何だか変な心持がした。行って見たいような、また不気味なような。――彼女は、何ということもなく間の悪い心地がした。
「私はどちらでも……」
「一遍は見てお置きなさいましよ。話の種ですわよ」
「御案内役は、私が引受けます。近頃喧しく種々のことを云ったり書いたりする人もあるらしいが、読んだって貴女どこのどんなものだか、外側も知らないじゃあ、話にもなりますまい。またという時はないもんだから、お伴しようじゃあありませんか」
 躊躇しているところを口々に勧められ、おせいは、好奇心の動くのを感じた。全く違った山の手に子供のうちから住み、そんな処にはまるで縁なく育って健介の妻になった彼女には、また何時そんな折があるかも分らなかった。
「……行って御覧になりますか?」
 彼女は、若し健介がいやだと云えば、忽ち断る積りで夫の顔を見た。
「物好きだね。――じゃあ御面倒をかけますかな」
 小関は、如何にも自分達の申出が受けられたのを喜ぶ風に見えた。
「いらっしゃいとも。何にせ東京名物の一つですからね」

 今日の一般の人を心から考えさせた事件だと思います。あそこに預けられた子供の率をみると去年は一躍二百余名に上り、そのうち八〇パーセントが殺されました。昨年このようにあずけられる子供の数が増えて殺された率も多かったということと、私達は政府が十一月には国民家計が三百円黒字になるといわれたことを深刻に思いあわせます。丸公が値上げになったために一般家計が窮迫しはじめたのも昨年中のことです。
 寿産院にあずけられた子供が正当な出生の子供でないということが、まるで子供が殺されても仕方がなかったというようにあげられています。しかしあの中には正当な結婚から生れた子供もいたようです。正当な子供、正当でない子供というのは子供にとってどんな区別があることでしょう。どういう男女の間から生れてもそれは人間の一人の子供であって、“生れた”という言葉は絶対にこの世に現われた子供が自分で自分を生んだのではなくて受身にこの世に送り出された関係を語っています。まして私生子というような区別を戸籍の上にさえおかない様になってきている今日、子供はすべて社会の子供として生命を保証される権利があります。そして私どもにはその義務があります。婦人少年局ができて婦人と小さい人の全生活に関する調査や提案を政府に向ってすることになりました。経済難と子供の生命の問題は婦人局にとっても基本的な問題だと思います。国家が社会施設として育児院、産院、託児所を設けなければならないということは、寿産院の事実ではっきり示されています。

  海辺の五時

夕暮が 静かに迫る海辺の 五時
白木の 質素な窓わくが
室内に燦く電燈と
かわたれの銀色に隈どられて
不思議にも繊細な直線に見える。
黝みそめた若松の梢に
ひそやかな濤のとどろきが通いもしよう。
午後五時
いまだ淡雪の消えかねた砂丘の此方
部屋を借りる私の窓辺には
錯綜する夜と昼との影の裡に
伊太利亜焼の花壺
タランテラを打つ古代女神模様の上に
伝説のナーシサスは
純白の花弁を西風にそよがせ
ほのかに わが幻想を誘う。

  新らしい私の部屋

新らしい六畳の小部屋
わたしの部屋
正面には
清らかな硝子の出窓をこえて初春の陽に揺れる
松の梢や、小さな鑓飾りをつけた赤屋根の斜面が見える。

左手には、一間の廊下。
朝日をうけ、軽らかな息を吸いつつ
此処に立って髪を結ぶ私の嬉しさ。
机に居ても 空は見え
畳に座しても
大どかな海の円みと
砂のかおりが
頬のあたりに そっと忍びよって来る

ああ、
新しい部屋のうち
新らしい人生へのときめきを覚えて
見えない神に笑みかける私の悦びを
誰に伝えよう。
夜の来た硝子の窓には
背に燈火を負う私の姿が
万年筆の金冠のみを燦然と閃かせ
未生の夢に包まれたように
くろく 静かに 写って居る。