宮本百合子

 この短篇集は私にとってもすこし風変りな集となった。一番はじめの「朝の風」は極く最近のものだけれど、次の「牡丹」以下の作品はずっと昭和の初めごろまでさかのぼっていて「小祝の一家」に到る間に多くの年月がこもっている。
 これまでに出版された本のなかへは入れていなかった作品をも今度はあつめておく心持になった。見ようによっては一つの年輪がここにあるとも云える。一本の樹木も成長してゆく過程には、越した冬の寒さや雪の重さによって、夏の嵐の強弱によって年輪をさまざまに描き出して行くそうだ。私のこの一つの年輪は、閲された生活のどんな季節をつたえていることだろう。夫々の読者が夫々に生きて来た人生の季節の、どんな朝夕の心にこの一冊は語りかけるものをもっているだろうか。

 今日の私たちの生活にとって、明日というものは、世界の歴史のなかで考え得る最も複雑な内容で予想されるものとなって来ている。きょうからあしたへのうつりが、ただ夜から朝へのうつりかわりだと感じているひとは、もう一人もいないだろうと思われる。明日をよく迎えたい心は、今日の生活を一層切実に愛し、そこから学べるだけのものを隈なくとって、明日へつづく自分たちの二度とはない生命を花咲かせたい願いをもたせる。
 私たち女のその願いの熱い脈搏が、ここに集められたもののなかに響いていて、その自然な響きが又ほかのいくつかの胸の裡に活々とした生活への脈動をめざまさしてゆくことが出来るとしたら、ほんとうに歓ばしいと思う。

 今日すべての人々が困難に感じていることは何だろう。それは現実があまり切迫して、早い速力で遷って行くから、一つの行動の必要が起ったとき、その意味や価値をじっくり自分になっとく出来るまで考えているゆとりがなくて、ともかく眼の前の必要を満たすように動かなければならないということではないだろうか。あらゆる現象が私たちに考えることを要求している。それだのに、そのあらゆる現象そのものの流れの早さが、逆に私たちに考えるべき時間さえあたえない。
 こういう現実の激しい流れと、生活の流れが、無意味なものではなくて、はっきりと歴史をすすめるものであることを、私たちは改めて感じ合おうとして、この一冊の本は読者の生活の中におかれる。
 夏の幅広い河の流れの中に一つの石が立っている。河の流れはその石にぶつかって波立ちしぶきをあげ小さい虹を立てる。この光景は美しい。水というものが、どんなに変化することが出来、虹となってかかることが、一つの石のあるために証拠立てられる。この本が複雑な激しい希望と困難とのまざり合って流れている今日の生活の中にあって、この石のように、読む人の一人一人の人生はどんなに価値のあるものであり、個人は、どんなに歴史の中でその歴史を変えながら人間の幸福の可能のために、戦うものであるかということが、知らされて行けば、嬉しいと思う。